グレートハンティングは1990年代の初頭に旋風を巻き起こしたメガバスのトラウトカテゴリー。ハンドメイドミノーのような手の込んだ仕上げ、世界初の小型インジェクションミノー、フラットサイドボディによる明滅効果の認知など、リリースされるルアーはその都度、トラウトフィッシングのゲームチェンジを仕掛けてきた。それからおよそ20年の時が流れ、再び始動したのを機に、グレートハンティングの歴史を紐解いてみよう。
メガバスに『グレートハンティング』が誕生したのは1990年代前半のこと。当時すでに最先端のバスルアーメーカーとして注目されていたメガバスが、トラウトにも目を向けていた理由は、伊東由樹の生まれ育った環境に由来する。
実家が浜名湖の釣り宿という伊東の釣りの原体験は言うまでもなく海釣りであるが、それと並行してバス、トラウト、フライフィッシングといった淡水のゲームにも情熱を傾ける。目の前が海で裏が山、クルマでちょっと走るだけで沖の魚から源流のトラウトまでアプローチできる浜松の土地柄を考えれば、伊東がトラウトに親しむのは自然の成り行きだった。
94年発行のコンセプトアルバムOUT OF THE GARAGEでは、その概念が製品と共に語られている。メガバスのトラウトの歴史は、およそ四半世紀にも及ぶのである。
また、ちょうどその頃、メガバスの地元浜松の天竜川ではサツキマスの稚魚を放流して増やそうという機運が高まり、メガバスもその運動に参加。在来種保護の活動にも積極的に取り組んでいた。メガバスにとって、トラウトルアーの開発は必然だったのである。そんなグレートハンティングの初期モデルは、いまや伝説となったミノー、GH95だ。
これは伊東が芦ノ湖のスーパーレインボーや、冬の本栖湖でブラウンを狙っていた時代に作ったルアー。ひとつひとつ箔を貼り、ハンドメイドミノーのような精巧な塗装を施したリアルな外観は、当時のトラウトアングラーを魅了した。
しかしGH95は単なるトラウトミノーに留まらず、アメリカのバストーナメントであるB.A.S.S.インビテーショナルにおいて、1995年のウィニングルアーとなった記録がある。
当時、現在のM.O.A.(メガバスオブアメリカ)の前身となる『メガバスUSA』がマサチューセッツにあり、目の前にはディアフィールドリバーという川が流れていた。トラウト好きの初代所長はその川でブルックトラウトを釣っていたが、季節になると川に差してくるスモールマウスバスをGH95で狙うと非常によく釣れた。そこで、契約していたゲーリー・クラインやランディ・ブロウカット、ダニー・コリアといったトップトーナメンターに渡すと、あっという間に彼らのシークレットベイトとなるほどの釣果をマーク。B.A.S.S.の選手になる前のアーロン・マーティンスがウエスタンバストーナメントで使うなど、ラトリンログ全盛のアメリカにおいて上位入賞者の隠し玉となった。ちなみにこれは、ワンテン以前の話である。意外な形でアメリカに飛び火したグレートハンティングは、次に世界最小となるインジェクションミノーの開発に着手する。それがGH55(当時はGH50と表記)である。バルサやウッド製に良質な小型ミノーがあったが、当時のインジェクションでは70mmが最小。それより小さいものに挑戦しようということで、開発したのがGH55だった。
GH55で特筆すべき点は単に小さいというだけでなく、このサイズでありながら、あらゆる条件下でキビキビとしたハイピッチなアクションを実現したこと。それまでのファットなインジェクションミノーに見られた緩慢な動きではなく、流れのなかでもバランスを崩さないシャープな動きがトラウトゲームの新たなとびらを開いた。
この勢いを駆って、翌年には重心移動機構を搭載したGH70をリリース。これもGH55とはまた違う意味で革命的なルアーだった。GH95が芦ノ湖や本栖湖を見据えたものであったのに対し、GH70は天竜川のサツキマスを釣るために作った、と伊東は言う。最大の特徴はフラットサイドのボディだ。フラットサイドのミノーは空気容積を確保しにくいためルアーデザインに制約があるが、フラットゆえのフラッシングには、広い範囲から魚を呼ぶアピール力がある。伊東はここにこだわった。
サツキマスという魚は基本的に単独に近い形で河川に点在しているため、釣るためにはキャスト回数を増やし、なおかつ一回のトレースでいかに広範囲にアピールできるかが重要になる。そのため以前はギラギラ光る幅広のスプーンや、ブレードの大きなスピナーが最も多く使われていた。広範囲に散った少ない個体にアピールするには、そういうルアーが有効だったのだ。それをミノープラグでやるなら、より強力なフラッシングを演じる必要がある。
「だからGH70の重心移動は、飛距離というよりも高重心化によってトゥイッチで横転しやすくして、フラッタリングした時のヒラウチをしっかり出すための設計なんです」と伊東。つまりルアーを遠くに飛ばしたかったのではなく、遠くに飛ばしたかったのはむしろ光だったのだ。この効果により、当時の天竜川サツキマスダービーでは、GH70を使ったアングラーが多数上位に入賞していたという。こうしてサツキマスシーンのゲームチェンジに一役買ったGH70だが、実はGH95同様アメリカのバス釣りでも高く評価されていた。70mmのフラットサイドはフィネスな展開において不可欠な存在だからだ。
特にサイトフィッシングでバスをリアクションバイトさせる釣りに威力を発揮し、アーロン・マーティンスをはじめ西海岸のプロ達の多くがシークレットベイトとして好んで使っていた。
普通に巻けばキビキビと泳ぐのに、トゥイッチでは大きくバランスを崩してヒラを打つ。その時にフラットサイド面が産み出す広角なフラッシングは、熾烈なトーナメントシーンでも上位入賞のカギとなることがしばしばあった。それは現在も続いており、初期のGH70とメガバス製のX-70 は、現地では時々、プレミアムプライスで取引されるほどである。
その後、メガバスブランドにおけるバスシーンの台頭によって、トラウトブランドとしてのグレートハンティングはいったん休止するも、主要ルアーはメガバスファクトリー内で統合され、バスルアーとして継続。それがX-55、X-70という形で現在まで生産されてきた。
伊東が誇りに思うのは、グレートハンティングの技術を応用したバスルアーがアメリカのタフなトーナメントで磨かれ、そこから進化したバスルアーの技術を再びグレートハンティングにフィードバックしていること。これは他のトラウトメーカーにはない、メガバスの大きなアドバンテージだ。様々なアップデートを繰り返して進化を続けてきたグレートハンティング。20年の時を経て動き出したセカンドステージには、さらなるアップデートとエボリューションが盛り込まれていくはずだ。
GH55もGH70も当時の型を使用して現在も製造し続けている。その際、内部構造は現在の樹脂に合わせてアップデートするが、基本設計とモールドコア(基本金型)は同じままである。四半世紀にわたる製造個数はそれぞれ50万個以上。釣果の歴史を刻み込むヘリテージの現在進行形なのだ。