ONETENの誕生
バスフィッシングを長くやっているアングラーで、ワンテンの名を知らない者はいないだろう。“キング・オブ・ジャークベイト”“世の中にはワンテンでなければ釣れない魚がいる”とまで称される、ジャークベイトの代名詞的存在である。では、ワンテンはどのようにして生まれたのか。それを知るためには、当時のメガバスの立ち位置と、それを取り巻くバスフィッシングシーンの背景から説明する必要がある。
ワンテンが生まれたのは西暦2000年。日本ではなく、アメリカで先行デビューした。1980年代の後半にV-FLATやZ-CRANKで世の中に打って出たメガバスは、すでに伊東由樹の個人ファクトリーからメーカー企業へと規模を拡大していた。自社ブランドのみならず、他社のOEMも手掛ける生産者としてクライアントの要望に応え、順調に業績を伸ばす毎日。それはもちろん充実していたが、そのいっぽうで、釣り人としての伊東由樹は、以前のように自分の欲しい道具を自分のためだけに作りたいという欲求も捨てきれずにいた。納期やコスト、市場のニーズに一切縛られることのないモノ作りは、ただのアマチュアイズムに過ぎないが、釣り人・伊東由樹としての正直な想いだった。
その頃、つまり1990年代から2000年にかけて、日本のトーナメントシーンはフィネスゲームが全盛で、ソフトルアーを用いてディープの一点をピンポイントで攻めるスタイルが主流。ハードルアーで広域のシャローを探っていく釣りは「サンデーアングラーの曖昧な釣り」という印象すらあった。当然、ミノープラグも9cm以下の小型が主役だ。そんななかでリリースしたX-80は、爆発的な釣果と圧倒的なセールスを記録していた。ミノーでもシャッドでもなく、適度な体高をもったシャイナーフォルムと、8cmのサイズ感が、当時の市場にはジャストフィットしていたのである。
しかし伊東自身は、プライベートの釣行において、トラウト用に作ったインジェクションミノーのグレートハンティング95(GH95)や手製のITOシャイナーなど、X-80より一回り大型のミノーを多用。ダイナミックかつトリッキーなジャークを駆使して琵琶湖や池原のビッグバスを数多く仕留め、その後GH95を手に渡米。12の州で広大なシャローを釣り倒していくうちに、そのポテンシャルと新次元のジャーキングの普及に夢を膨らませていく。
当時アメリカでは、ジャークベイトは誰もが使うユニバーサルなルアーとして定着していて、ショップにはスミスウィック社のラトリンログをはじめとして、様々なミノーが売られていた。メガバスのサポートを受けるバスプロであり、伊東の友人でもあるランディ・ブロウキャットやアーロン・マーティンスも例外ではなく、ラトリンログをジャークベイトとして使用。そのチューニングを伊東に託していた。
当初は依頼されるままにリップやウエイトのチューニングを施し、送り返していた伊東だが、やがてそれをやめて彼らにもGH95を送ってみた。そのGH95はすぐには結果を出せなかったようだが、どうしたルートをたどったのか、西海岸のチャーリーというアマチュアアングラーの手に渡る。そして彼が絶大な釣果を得たことから口コミで噂が伝わり、やがて西海岸のローカルの間に広まった。
GH95は凄まじい破壊力を秘めたミノーだったが、これを売り込むには大きな問題があった。製造工程に手間が掛かりすぎるため、受注生産ならまだしも、プロダクツとして積極的に量産する対象ではなかったのだ。また、バルサ製のITOシャイナーも伊東が個人的に入れ込んでいた自信作ではあったが、サイズ的な問題もあって国内市場で製品化できる状況ではなかった。
そこで伊東は、この二つのジャークベイトの良いところを融合したミノーを新たに考案、自費で製作することを決めた。誰から求められたわけではなく、何かに縛られることもなく、純粋に伊東自身が使いたいという想いが出発点。「マーケットインではなくプロダクトアウト」。市場に媚びるのではなく、メガバスの想いを発信していくのだというスタンスは、現在も伊東がたびたび口にするメーカーとしてのアイデンティティである。
このジャークベイトの顧客は伊東自身。ほかにはいない。そこで「い(1)とう(10)」にちなんで全長は110mmとし、名前も110を英語読みした『ワンテン』に決定。なんと、11cmという絶妙なサイズは、マッチザベイトや市場の需要から割り出したものではなかったのだ。
早速アメリカから販売を開始したが、アメリカ製のルアーに比べて価格が高いことや、扱っているショップが少なかったこともあってセールスは奮わなかった。しかし伊東は満足だった。ジャークベイトの頂がとてつもなく高いことは承知していたし、チューニング無用の完成度を誇るワンテンなら、いつか必ずその頂に迫る日が来ると確信していたからだ。
それを裏付けるエピソードとして、2000年のコンセプトアルバム「グラウンドゼロ」には次のように記されている。
『メガバスがインジェクションミノーの生産に着手したのが1989年。当時トラウト用ミノーとして各地のモンスターを席巻した、GREAT HUNTINGミノーは、その後まったく新しい設計思想と、内部構造、素材から構成されたX-70 、X-55へとバージョンアップされ、バスフィッシングへも活躍の舞台を広げています。(中略)そして、日本の皆様にはもうしばらくお待ちいただくことになってしまうかもしれませんが、グレートハンティングの時代から永らくメガバスミノーたちを可愛がって頂いたアメリカのアングラーの皆様に、2000年、ONETENをリリースします。アメリカのトーナメントシーンで、ランディ・ブロウキャットやゲーリー・クライン、アーロン・マーティンスたちの、熱烈なラブコールに応えるONETENが、次世代のミノーを提案してくれるでしょう』。